私は海に潜るのが好きです。
そもそものきっかけは与那国島の海底遺跡をこの目で見てみたいと思ったこと。
そして16年前にハワイでスキューバのライセンスを取りました。
与那国の海は流れが早いし上級者向けなので、海底遺跡を潜るまでに最低100本は潜ろうと自ら決め、世界の様々なダイビングスポットを巡りました。
念願の海底遺跡も潜りダイビング本数も120本を越した頃には、だんだんとダイビング器材を運んだり背中にボンべを背負うのが億劫になってきていて、そんな時、ジャック・マイヨールの言葉を思い出したのです。
人はもっと自然な形で海とつながることができる、と。
それから私は、タンクを背負わない素潜りを始めました。
実はもう一つ、素潜りを始めた理由があります。
それは、イルカ達と泳ぐこと。
世界には時々、スキューバダイビング中にイルカが寄ってくる希少な海もありますが、基本的にはイルカはスキューバダイバーの吐く泡(バブル)が嫌いだと言われているのです。それに、自由に泳ぐイルカについていくには、スキューバではなく小回りがきくスキンダイビングのほうが何かと都合がいいわけです。
そして私は、ハワイ島や日本の御蔵島でイルカと泳ぐようになりました。
そもそもアプネア(閉塞潜水)の競技にトライしようと思っていたわけではないので呼吸法については学んでこなかったのですが(いつかちゃんと学びたい!)ドルフィンキックや泳ぎ方はイルカ達に、そして海の中にいる時の在り方は、ジャック・マイヨールの本に学びました。
先日、ジャック・マイヨールのドキュメンタリー『ドルフィン・マン』を観ました。
ジャック・マイヨールは言わずとしれた伝説のフリーダイバーであり、リュック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』のモデルにもなりました。彼はフリーダイビングにヨガや瞑想を取り入れ、1976年、49歳の時に水深100mに達する偉業を達成しました。
そもそもかつては、人間が息をこらえて潜る理論的な限界水深は30数メートル程度と言われていたのです。ところがジャックはその常識を軽々と覆した。さらに興味深いことにジャックがこの驚異的な数字を出して以来、フリーダイビングの記録というものはどんどん更新されており、ジャックが挑戦した競技「NLT(ノーリミッツ)」の現在の世界記録は、オーストラリア人のハーバート・ニッチの持つ214mへと大幅に塗り替えられています。
これはどういうことでしょうか。技術や器具の進歩ももちろんあるでしょうが、私が思うに人間の集合意識が変わったのだと思います。集合意識、正確には[集合的無意識]とは、私たちの無意識の深層に存在し、国や民族を超えて人類全体に共通する意識としてユングが提唱した概念です。例えば、神話や宗教、芸術には、時代や地域を超えて共通するテーマ、イメージが多々あります。どの時代のどの民族も花を美しいと感じ、太陽を崇め、海を神格化します。人の意識は見えないところで繋がっているのです。
たとえジャックの成し得た偉業を知らずとも、「人はもっと深くまで潜ることができる」という意識が全人類に広がったのだと考えます。
ユングは私がとても影響を受けた一人で、この「集合的無意識」の見解にも非常に強いシンパシーを感じています。このジャックの例だけでなく、人間の運動能力や身体能力がどんどん塗り替えられていくのは、科学の進化とともにやはりこの集合的無意識の変化に起因しているように思います。
ジャックのドキュメンタリーを見ながら感じたもう一つの疑問は、なぜジャックが自然と一体化し、瞑想や禅の世界に通じていながらも、自殺という形で自らの人生の最期を迎えなければいけなかったのか、ということ。晩年はうつ病を患っていたようで、自らその生涯を閉じました。
潜水中、思考は酸素を消費してしまうので、なるべく息を長く持たせるためには雑念を捨てて「無」にならなければなりません。ジャックはそのために、ヨガや瞑想の訓練をしていたし、非常に高いレベルにあったと思うのです。
しかしドキュメンタリーを見ていると、ジャックは決して悟りを開いた聖人のようではなく、むしろものすごく人間臭い。自然の一部には違いありませんが、人間的なエゴも強く残っていたように感じました。
ここにヨガや瞑想の落とし穴がある気がしてなりません。近年、ヨガも瞑想も一般的に広く知られるようになり、日常的に取り入れる人もかなり増えました。しかし一部のヨガはファッションとなり、「瞑想」や「マインドフルネス」という言葉は一人歩きしている感も否めません。
ジャック自身はヨガの真髄を捉え、かなり深いところまで瞑想できていた人だと思うのですが、うつ病に効果があると言われる瞑想を続けていた彼がうつになってしまうなんて誰が想像できたでしょう。
スピリチュアル・リーダーの中には「瞑想は危険」という人も少なくありません。有意義な効果もあるでしょうが、使い方を誤ると、文字通り「魔がさす」ことがあるのだそう。
そして彼らの言う言葉は「無になるより、感謝することの方が大事」ということ。
ただ「在る」ことに感謝する。そう思えていたら、ジャックはもっと長く人生を生きられたかもしれません。
これまでの常識では不可能だと思われていたことも可能にするポジティブなアイデアが集合的無意識を通して広がり、私たちは個ではなくすべてと繋がっているんだという意識と感謝の気持ちが、この世界を変えていくと私は信じています。
Comments